米国留学生、ナイジェリアに行く
コロンビア大学ロー・スクールに留学してた人の日記。
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米国留学生

Author:米国留学生
Columbia大学のロースクール(LLMコース)に通う日本人留学生です。
自己満足ですが、覗いてってください。



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ジンバブエ!!!

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バースデー!

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テント飯
飯の話題が続きますが、平日昼間は普段、メイドさん(彼女については、またの機会に。)が作ってくれる弁当を持っていってます。
ところが、メイドさんは週末には来ないので、月曜は弁当なし。

ということで、月曜は外食の日。

職場の近くには、怪しいファーストフード店やレバノン系屋台等、数は少ないけど一応徒歩圏内にいくつか選択肢があるのですが、それら魅力的な候補をなぎ倒して、わざわざ車で行ってしまうのが、通称「テント飯」と呼ばれるローカル飯屋です。
ってなわけで、ローカル飯レポート第2弾。

そこが「テント飯」と呼ばれるゆえんは↓のとおり。

テント


リアルにテントが建ってるだけの店構えだからです。
店名もなければ、メニュー表もなし。
電気もガスもなし。よって、開店は昼だけ。
なんとなく素敵です。

出しているものはいわゆるナイジェリア料理。
今回注文したのは、

てんと飯

1.パウンデッド・ヤム
写真右の白い物体。肉マンに見えてしまった方はコンビニの行きすぎです。
ナイジェリア人の主食でもあるヤム芋を、餅のように臼と杵でたたいて作ったもの。実際に餅みたいに粘着質で、餅みたいに腹によくたまる。そして餅みたいに味がない。。。

2.野菜シチューwith鯖のオクラスープがけ
写真左。
分かりにくいですが、黒っぽいのが野菜シチュー。野菜の具体的材料はなぞ。なんかはっぱ的なもの。
茶色いのがオクラスープ。オクラって、外来語なんですね。「お蔵」かと思ってました。
そして黒と茶色との間で微妙に光って存在感を示しているのが焼き鯖。

3.コーラ
僕の主食。これがなければそっこー帰国してました。

1.のパウンデッド・ヤムを指でつまんで、2.のシチューにつけ、3.のコーラで流し込むのが正解です。
スプーンはうっかりシチューがあまっちゃってしまうビギナー用。

ここにもぺぺがふんだんに使われているため、お味は、なんとなく辛くて、鯖が生臭く、不思議とうまい。

気になるお値段は、計300ナイラ(200円強)。
ファーストフード店で、ハンバーガーをセットで頼むと1050ナイラ(700円強)なので、やすいっちゃあやすいですが、アジアの屋台とかだと100円で結構食えますよね。。。
途上国と思ってくると、痛い目にあいます。

さて、ナイジェリア入りして3ヶ月で気づいた、ローカル飯を食っても腹を痛めないコツは以下のとおり。

1.原材料が一体なんなのか、深く考えない。
例えば、
「アブジャは思いっきり内陸だけど、鯖はいったいどうやって輸送・保存されていたのだろう?この値段で空輸されているはずないし、店にはもちろん冷蔵庫なんてないし、不思議だなー。」

と考えただけで、腹を痛めます。

2.調理場をのぞかない。
特に洗い場は見ちゃだめです。洗い水が、びっくり茶色かったりします。
そして材料にまとわりつくハエの多さには絶句。

のぞくだけで、腹を痛めます。

といいつつ、ちょっと反則。
調理場

林間学校でやった飯盒炊爨より原始的。。。

3.上記1.と2.を守ったところで、腹を痛めるときは痛めるから、そんなことは諦める。


ローカル飯
アブジャは、一応首都ということもあって、高い金さえ払えば、結構何でも食えます。
うまいかどうかは別として。
最近では、インド料理屋と韓国料理屋にいってきましたが、これは大当たり。
NYでも思いましたが、アジア系料理ってあんまはずれない。
特に、韓国料理屋ではひさしぶりに、肉の味がする肉を食らいました。
でも、ビビンパ2500ナイラ(1500円強)はやはり高くて、ご褒美。

しかし、せっかく外にでたんだったら、くわなきゃいけないのが現地料理。
というわけで、ナイジェリア飯レポート第1弾です。

会社の同僚1名、現地職員2名、現地ドライバー7名と行ってきたのは、アバチャ・バラック。
ここは、まさにバラック(掘っ立て小屋)が並ぶアフリカーンな小規模なマーケット。
道路は整備されてないし、バラックは今にも倒れそうだけど、さすがアブジャ。
食品、生地以外にも携帯電話や海賊版CDが売られていました。

といっても、実際に見ないと想像がつかないと思いますが、「むやみに写真撮影をするとカメラを破壊される。」と脅されていたので、残念ながらこの時点での写真はありません。。。

中ほどに行くと、ちょっとした広場に。
その広場の中心には鉄板ブースが環状に配置され、鉄板ブースの内側では料理の下準備のためのスペースが。
さらに、テントが広場を囲うように設置されてます。

客は、まず好きなテントに入り、そこで飲み物(主にビール)を頼みます。
そこで1、2杯飲んでから、テントから出て、広場の中心にある鉄板ブースに向かい、料理を注文。
その際に、自分がどのテントにいるか伝え、テントで待っていれば料理が届くというシステムです。

そして、これがお目当ての魚(名前は忘れました。。。)。

ブース

でかい!

いくら?
一つ(二人前)1000ナイラ(700円)。安い!

で、これが完成形。

食前

これを指でほじりながら食べるのが現地流。

対面の同僚と争うように食しました。

食後

完食。めちゃうま。大満足。

さて、この料理、魚を焼いて、隠し味のナイジェリア特産の調味料ぺぺを塗りこむだけで出来上がりといういたってシンプルなもの。
この、赤いぺぺ、どのレストランにいってもある(インド料理屋でも韓国料理屋でも。)、日本でいうところの醤油みたいなもので、辛いけど、くせがなくて結構いける。

でも、「ぺぺ」というのが固有名詞なのか、はたまた「pepper」がなまっているだけなのか、については永遠のなぞです。
現地職員に聞けば、「『ぺぺ』は『ぺぺ』だ!」と教えてくれましたが、やはり「ぺぺ」と言っているのか「pepper」と言っているのかわからないので、なんの解決にもなりません。

さて、会社の先輩がこのぺぺを大いに気に入り、日本に持ち帰ろうとしたら、アブジャの空港で止められ、没収されたそうです。
空港職員いわく、
「こんな劇薬、海外に持ち出したら、危険じゃないか!」

おいおい。。。


負けられない戦い
ちょっと遅いですが、日本代表、W杯出場決まりましたね。

めでたい。

南アも日本からよりははるかに近いことだし、タイミング合わせて休暇とって、応援行けないかな、とひそかに狙ってます。

でも、その前に、W杯出場を賭けた熱い戦いは、ここアフリカの地でもおこなわれいるのです。

ナイジェリアでスポーツと言えばサッカー。テレビをつければ、必ずサッカーの試合が放送されてるし(主にプレミア)、欧州のチームのユニフォームを着ている若い男性が街中に溢れています。代表のスーパー・イーグルズは、特に若い世代で戦績を残してきていて、アフリカン・サッカーの台頭の代名詞的なチー。にもかかわらず、2006年はドイツ行きを逃しており、今回の代表には大きな期待が寄せられています。

というわけで、もう2週間も前ですが、いってきました。
アフリカ最終予選。
ナイジェリア対ケニア。

もとは会社で日本代表の話しになったときに、同僚が一言。
「今週末ナイジェリア対ケニアやるらしい、しかも、アブジャの国立スタジアムで。」

「まじで!?行くしかなくない?でも、こんな直前にチケット取れるかな?」

「ローカル(現地人)の職員に聞いてみましょう。」

・・・

「取れるみたいですよ。本当に行きます?」

「行きます。もしかしてチケット高かったりするの?」(参考:アブジャ物価では、軽い外食昼飯1500円。ヒルトン一泊3万以上。東京並みORそれ以上。)

「300みたいっすね。」

「300ドル・・・3万円か。きついな。」

「いや、300ナイラ(210円)です。」

「・・・行きます。」


そして、当日、ローカル職員のベン君と日本人同僚3人。
車で近づくとスタジアムと大量の車が見えたので、ちょっと遠めの位置で路肩に路駐し、歩くことに。
行く途中、アブジャの街をぐるりと一周する環状道路が横目に見え、渋滞でびっしり。早めに路駐しておいて正解だったと思って、よく見てみれば、渋滞で車が「止まっている」のではなく、「停めてある」ではないですか。
4車線が1車線になってました。この道、東京で言うとこの環八とか首都環状線でっせ。

「路駐」のレベルが違う。。。

スタジアムは、大きな複合施設の中に位置するために、その施設内に足を踏み入れるためにも、チケットを提示する必要があり、マシンガンをお持ちのいつもの制服のお兄ちゃん達が、チケットを確認に。
チケットを見せようとした瞬間、ベン君がお茶目なことに、

「僕の分のチケットなくしたみたい。。。」

「まじかい。どうすんの?」

と、辺りにダフ屋がいないかと見回していると、ベン君、地面に落ちていたペプシの包装紙をつかんで、それを提示。

ベン君、君はマシンガンをなめている。。。

と、血の気が引いていく音を聞いていたら、ベン君、余裕で突破してるではないか。

・・・まいっか。

しかし、さすがにスタジアムそのものに入るためのゲートはチケットを一枚一枚確認していたので、ダフ屋から買わざるを得なく、さっそく交渉開始。
「がめつい」ことで有名なナイジェリア人。どんな額でふっかけてくるのかと、半ば興味半分で見ていたら、なんと100ナイラで交渉成立。

正規ルートの3分の1ですが。。。

どうやって交渉したのと聞いてみると、買ったのになくしたのだから、本当はただでもいいはずだ、と迫ってみたと。

・・・もうどうでもいいや。
ってか、がんばれ、ダフ屋!

そんなすったもんだで、ようやくスタジアム入り。早速ナイジェリア代表のユニをゲット。
1000ナイラなり。
本物の新品ADIDASにも関わらず、感動的な安さ。
狐につままれきった感じで、装着。頭には民族衣装帽。

ゆに

準備は完璧。


席は当然自由席。そして当然のように満席。
というわけで、階段に着席。でもこの景色。フィールドのど真ん中だし、S席かA席のビューに大興奮。両隣、前後の方々とは完全に接しているけど。

正面

さて、チケットに書いてあるキックオフ時間は16時。
現在17時半。
フィールド上は無人。
まあ、そんな感じがナイジェリア。
仕事でも、アポとっても1時間くらい平気で待たせる方達です。

窮屈な思いをして待っていると、左前15メートルから叫び声が。

「ポリス!ポリス!」

どうやら、喧嘩がはじまったらしく、周囲の人間が警備員というより警察を呼んでらっしゃいました。
喧嘩の理由は、階段のみんなが座っている間を通り抜けようとしたら、足が当たったとか当たらないとか。
うーん。。。
まあ、そんな感じもナイジェリア。

その後、2つほど喧嘩が勃発し、ようやく選手入場。

試合前

この2チームと日本代表が同じ舞台を目指しているのだから、やっぱりW杯は規模がでかい。

って、あれ?僕の着ているユニと色、微妙にちがくね?
どうやら古いモデルだったようです。格安も納得。

試合は、格上のナイジェリアが試合開始早々リードし、後半に2点加えて突き放し、終わってみれば3-0の圧勝。
後半にはヌワンコ・カヌが途中出場しかなり感動。
アトランタでは、あなたにやられました。

しかし、ダテに毎日のように欧州サッカーが放送されるだけなく、ナイジェリアのサポーターは目が肥えている。
有効なサイドチェンジや絶妙なトラップに拍手喝采し、走らない選手には容赦のないブーイング。こりゃ、強いわ。


さて、民族衣装帽とナイジェリア代表ユニを着ているアジア系はさすがに珍しいらしく、試合に勝ったことで上機嫌になっているナイジェリア人に大人気。

のべ50人くらいと握手しました。 
そして「You are Nigerian!」とありがたき言葉。

受け入れてくれたことはとても嬉しいですが、僕は時間も守るし、喧嘩もそんなにいたしません。

しらふのときは。







歓迎
あっという間に3週間がたちましたが、新しいご近所さん、新しい職場、ということで、最初の1,2週間はひたすら挨拶回り。

そんなナイジェリア人との挨拶でのひとコマを御紹介します。

「Hi, I’m ~~ from Japan. Nice to meet you.」
「Hello, my name is ~~. YOU ARE WELCOME.」


???
あれ?僕、「Thank you」って言いましたっけ?
いや、言ってねーよな。

むしろ、「Thank you」って言えってことか?催促されてんのか?
でも、なんかしてもらったけか?

と、混乱していると、日本人の同僚の方が、「ナイジェリア英語だよ。」と教えてくれました。
ナイジェリアでは「You are welcome」を直訳どおり、「あなたを歓迎してます」という意味で使うのです。


そんなわけで、うれしいことに歓迎されているようです。


とはいえ、入国時は手荒い迎え方でした。

朝4時半に空港に到着し、荷物の受取りエリアから関税申告を無事突破し、待合スペースまで出ようとすると、制服を着た若い空港職員に止められ、「トランク4つだね。空港利用料として10000ナイラ(8000円くらい)ね。」と。
まだ両替もしていなかったので、戸惑っていると、荷物受取りエリアまで迎えに来てくれていた同僚の方が、「空港利用料?そんなもの聞いたことも払ったこともない。なんなら君の上司に確認しますよ。」とその空港職員に向かって一喝。
空港職員はバツが悪そうに去っていきましたが、早速のナイジェリアの洗礼に2連続機中泊でぼーっとしてた僕の頭も覚醒しました。

「地球の歩き方」はフィクションではないんですね。
ちなみに「地球の歩き方」には、ナイジェリア版どころか、西アフリカ版もございません。

そして、駐車場に行くと、迎えに来ていただいた人が勢ぞろい。
総勢6名、その内訳:

同僚の方2名、
ドライバーの方2名、

そして・・・マシンガンを首から提げてらっしゃる制服のお方が2名。


・・・朝早くから、こんな僕のために本当にありがとうございます。

そんなわけで、2台の防弾車(アフガニスタンで使用していたものを持ってきたらしい。27歳、ナイジェリアで人生初の「お古」を経験するとは思いませんでした。)で車列を組んで、太陽が昇る前のアブジャに向かいましたとさ。



お久しぶりです
1年ぶりの投稿です。
完全に寝かしていました。しかし、今日をもって復活させたいと思います。

なぜ今さら?
を答える前に、とりあえずこの一年でどんなことがあったか、ざっと報告します。

○卒業後~7月末まで
ただひたすらにNY州司法試験のため勉強。まじできつかった、人生最後の受験勉強。3ヶ月弱で飲酒が2回といえば、どれだけがんばったか分かっていただけると思います。おかげで体重も増。試験勉強については思い出したくもないので、とりあえずこのくらいに。

○8月~9月頭
日本から来た友達の接待。前払いしたミュージカルとか野球観戦のチケット代は、必ず取り返します。パソコンと自転車を大学で盗まれました。さよなら、写真とituneの音楽。

○9月頭~1月中旬
コロンビア大に残り、もう1学期間学生やってました。でも、正式なコースが終わってしまっていたので、寮を追い出され引越しを余儀なくされました。貧乏学生ということもあり、ハーレムへとお引越し。
ルームメイトは42歳の黒人ロックミュージシャンと猫。猫は、ルームメイトのフランス人の前妻に与えられたフランス語の高尚な名前があったのですが、日本かぶれのルームメイトに「猫又」と呼ばれていたので、又さんと呼んでました。本名は忘れました。写真家とか、音楽プロデューサーとか、映像作家とか、いままで会ったことのない人種と交流ができて、毎日が新鮮だった。。。ような気がします。
ハーレム自体はクリントン元大統領や歴代のNY市長の尽力もあり、想像よりはるかに安全で暮らしやすかったです。もちろんコミュニティによってルールや雰囲気が違うけど、それが治安に直結するものでもないですね。
黒人やヒスパニックが多く、東洋人は珍しいらしく、彼らにはむしろ怪しいアジア人に映るらしく、絡まれることも全然なかったです。いや、小学生には絡まれたな。3倍返しにしましたけど。
うっかり聞こえてしまった銃声らしき物音も爆竹であると信じて毎晩安眠しました。
ビバ、妄想族!

○1月中旬~5月中旬
ワシントンDCの法律事務所でインターンしました。よって、再度お引越し。
DC最高でした。みんなNYと比べ退屈だというけれども、道の広さ、清潔さ、緑の多さという点では、比べ物にならない。散歩大好き人間にはたまらん街でした。
法律事務所では、お客的な扱いといっちょ前の弁護士な扱いとを使い分けられ、事務所がばたばたしているとき、猫の手になりました。でも、大学で勉強するよりは落ち着いた生活ができ、「趣味は料理です。」といえるようになりました。
事務所に対する貢献は、事務所のソフトボールチームでの4安打くらいです。でも、4エラーとプラスマイナスゼロか。。。



そんなある日、会社から電話が。
「君の次の配属先は、アフリカのナイジェリアです。16日に発令ですので、25日にアブジャに着いて働き始めてください。」

はい。了解です。ところで、アフリカ以外のナイジェリアってあるんですか?


というわけで、ナイジェリア到着してから2週間がたちました。NY、DC、そして日本でお世話になった方々、ちゃんと挨拶できず本当にすみません。どたばたしており、お伝えすることができませんでした。そして、郵便事情もネット環境も悪く、今後も個別に挨拶することができないことをお許しください。本当にお世話になりました。ありがとうございました。

そして、ブログ再開します。
正直、NYでは、ブログに書き残すほど面白いことはなく、普通のことを無理矢理ネタのように書いていました。冬眠は、「ネタ切れ」に「めんどくささ」がスパイスとして加えられた結果です。
しかし、ナイジェリアはネタの宝庫です。まだ2週間にも関わらず、これでもか、と書くことがあります。
今後とものぞいてくだされば幸甚です。

さて、再開に当たって、今まで書いてきたことを見直してきたのですが、このブログ自体がナイジェリア行きの壮大なフラグのように思えてなりません。
・ NYの地下鉄に文句をたれましたが、アブジャにはそもそも地下鉄なんてありません。信号機もほとんどありません。
・ 注射でうだうだ言いましたが、赴任前に8本打つことになりました。ある日なんて、同時に生ワクチンを5本も。毒手を身につけた可能性があります。
・ ギリシア人とインド人の英語にけちをつけましたが、ナイジェリア人には勝てない。ちなみにこの国の唯一の公用語は英語です。たぶん、「ヒデゴ」と読むのでしょう。
・ 一件起きた殺人事件で、こわいこわいとわめきましたが、現在、防弾車で移動してます。タイヤも防弾です。
・ 「みつわ」というスーパーに云々いいましたが、こっちで日本食料品をゲットするにはロンドン行きです。
・ ねずみにビビッてましたが、今はミニイグアナサイズのトカゲさん(頭数不明。)と同棲中です。
・ そして、NYを無法地帯とか呼んで、ごめんなさい。本当に。

とはいいつつ、意外とすごしやすいです。ナイジェリアはアブジャ。
僕なりに、かなり楽しんでるので、今後、生活の一端を紹介します。もちろんトラブルも。

というわけで、題名も微妙に変えました。留学情報をゲットしようとしてたどり着いてしまった人には申し訳ありませんが、今後ともよろしくです。


ゴッサム・シティ
アムステルダム通り(10番街)。

マンハッタンを南北に貫く大通りの一つであり(マンハッタンの道はほとんどが片道通行であるところ、アムステルダム通りは一部片道2車線の計4車線。)、南からチェルシーマーケット、リンカーンセンター、聖ジョン・ディバイン大聖堂、そしてコロンビア大学がこの道に面している。
我が家もこのアムステルダム通りと115thストリートとの交差点に位置する。ちなみにコロンビア大は116thストリート。徒歩30秒。

夕食をミッドタウンでとり、地下鉄1番線を北上していたところ、特段の説明もなく、96thストリートとアムステルダム通りの一本西側を通るブロードウェイ通りとの交差点の駅で停車。地下鉄の根拠不明な、有無も言わせぬ停車は日常的すぎて、もはやいまさら突っ込む気力もない、とみせかけて最後の気力を振り絞ってひとこと言いたい。
日本であれば、「お急ぎのところ大変申し訳ありません。」とわずか5分の遅れであやまってくれる。こっちでは、「はよおりんかい。しばくぞ。」という勢い。今度日本に帰ったときは、舌打ちなんかせず、「気にすんなよ。俺なら大丈夫だからさ。次はたのむぞ。」とスピーカーにむかって快く言えると思う。

人間としての器拡大。

というわけで、夜の風が気持ちよかったので、家まで20ブロック歩くことにした。
名前からして真のメインストリートであるブロードウェイ通り(「広い通り」の意)と異なり、アムステルダム通りはなかなか治安がよろしくない。さらに1,2ブロック東に行けば、ウエスト・ハーレムと呼ばれる地域で、よほどの勇者か住民でなければ夜は歩けない。いくら地下鉄の遅れを許せる銀河級に広い心の持ち主であったとしても、所詮戦闘力5の地球人である僕には到底無理なことだ。

そんなことを考えながら、アムステルダム通りを早歩きで北上していると、大音量の音楽といい匂いが。
なんだろう、と思っていると、ヒップでホップな方達4,5人がバーベキューをやってらっしゃるじゃないですか。

公園ですか?いえ、歩道です。

イベントですか?いえ、完全プライベートです。

お昼ですか?いえ、真夜中の11時です。

おいしいですか?いえ、ガンなんか飛ばしてません。。。


・・・東京で言えば、駒沢通り、目黒通り、春日通りくらい?いきなり道端で、パンチでパーマな方達が演歌を爆音でかまして焼肉してるみたいなもんでしょうか。

わたくし、日本で法学部に通い、アメリカのロースクールで一年間勉強しました。
法律って一体何でしょう?

すくなくとも、ここは無法地帯です。

ロースクール卒業しました。





祝・優勝
昨夜のスーパーボウル、なんとNYジャイアンツが優勝しました!

ありえねー。

相手は今シーズン無敗で18連勝中のペイトリオッツ。

まじありえねー。

残り35秒で逆転。

でらありえねー。


というわけで、大興奮な昨夜でした。

スーパーボウルは毎年、その年の視聴率1位を獲得する国民的行事。
その中でも昨夜の全米テレビ視聴者数は、同ボウル史上最多の推定9750万人だったそうです。

そんな9750万分の1として、ピザとビールを両手にテレビで観戦。
すっかりアメリカナイズと見せかけて、ビールはサッポロ。

スーパーボウルといえば、豪華アーティストが出場するハーフタイムショーも見逃せません。
過去に、ポール・マッカートニーやエアロスミスといった大御所がライブを演奏し、ジャネットがポロリしたのもこのショー。
去年はプリンス!

そして、今年は・・・

Tom Petty!!!

・・・って、誰?
結局4曲ほど知らない歌を熱唱して帰っていきました。

まあ、しかし本当にすごい試合だったので大満足。
そして、その勢いで大騒ぎになっているに違いないタイムズスクエアへ!
近づくと中継車やヘリが。
そして、さらに近づくと・・・

あんま人いないでやんの。

なんてサムい国民なんだと思っていたら、みるみるうちに人や警笛を鳴らす車が集まってきて、挙句の果てには消防車がサイレンで祝砲。
期待を裏切らないアホさです。
あっという間に、タイムズスクエアが車両封鎖になり、お祭り状態になりました。
そして、なぜかみんなで「オーレ、オレ、オレ、オレー♪」
違うだろ。。。

いやー、でも優勝めでたい。

ちなみに、僕が11月に観戦したときはそれはそれはひどいものでした。
第3クオーター過ぎには30点差をつけられ、客が150ドル以上をする席を惜しげもなく見捨てて帰っていきました。
かなりご年配のファンが、今まで見た中で最悪と言っていました。
今思えば、ライオンズが間違って出てたのだと思われます。


                             使用前
                               ↓
boston 068


                        使用後(注:まだ試合中)
                               ↓
boston 080



                     そしてスーパーボウル優勝チーム
                             ↓
boston 084



わっしょい。

あ、ちなみにマジでにわかです。。。




ミッキー
家にミッキーがでました。

温室育ちの僕としては、ねずみはかなりショッキングだったのですが、それ以上に衝撃だったのが、ルームメイトが慣れた手つきで平然とトラップを仕掛けたこと。

よく出るのね。。。

RIMG0001.jpg

表面に強力な糊が塗ってあり、上を走りぬけようとするねずみがくっついて離れられなくなるそうです。
くっついているところを発見したら、それはそれで手の施しようがないのですが。。。



ボストン
もはや1ヶ月以上も前の話ですが、Thanksgiving's Day(感謝祭)休暇を利用してボストンに二泊三日で行ってきました。
この場を借りて、ボストンで3日間付きっきりで案内してくれ、部屋まで提供してくれた、心広い大切な友人に大感謝。
ありがとう。

ボストンは、僕が高校時代に法学部を目指したきっかけになったドラマ「アリー my love」の舞台(アリーはハーバード大ロースクール卒、ボストンの法律事務所で勤務。)。
結局道をあやまってしまったもののかなり感慨深い。

「Chinatown Bus」という名前からして怪しいバス(だけど往復30ドル!)に揺られること4時間、フェンウェイパークを右に見ながらボストン入りしました。

期待を胸にバスをおりたその瞬間。

帰りたくなりました。。。
寒すぎる。
今思えば、NYの12月末より寒かったぞ。
アリーが変なものを見てしまうものもよくわかりました。

                                babydanc.gif


気をとりなして、友人との待ち合わせ場所であるボストンコモンに。
アメリカ最古の公園だそうで、セントラルパークと比べるとこじんまりしているものの美しいところ。
11月中旬だというのに、スケートリンクには氷が張り、皆スケートを楽しんでいました。
やっぱ寒すぎる。

boston 004

友人と再会を果たし、連れて行かれたのはボストン美術館。
「地球の歩き方」曰く、「ボストン美術館は、パリのルーブル、サンクト・ペテルブルグのエルミタージュ、NYのメトロポリタンと並ぶ、世界四大美術館のひとつだ」そう(P.564)。
しかし、同じガイドブックのP.528では、「イギリスの大英博物館、フランスのルーブル美術館と並んで、世界三大ミュージアムの一つといわれているメトロポリタン美術館。」との記述が。
夜も眠れません。。。

ここの売りは、東洋美術、特に日本美術のコレクションの豊富さ。
日本史の教科書でみたことのある絵画がボストンで見つけることができることは不思議な気分がします。

NanbanCarrack.jpg

その後、マサチューセッツ工科大学を案内してもらい、夕食に。

boston 011

夕食のあとは、パブに。
ニューイングランド気質なのか、ボストンはNYと比べるとパブ風の居酒屋が多いようです。
ところが、ここで僕の所持していた国際学生証が年齢証明にならないといわれ、2店ほど飲酒を断られる事態に。
NYはあまあまなのですね。

二日目朝は、友人の通うハーバード大とその学園都市であるCambridge見学に。
敷地の広大さ、自然の多さ、周辺の建物のきれいさは、マンハッタンに校舎を構えるコロンビア大ではありえないもので、かなり嫉妬しました。

boston 018

昼から、ボストンの目玉であるFreedom Trail散策に。アメリカ建国に係る史跡を文字通り結ぶルートで、路面に記された赤いラインに沿って歩けば観光名所を全て見て回ることができるという優れもの。
さらには、友人の「ガイドさんですか?」的な説明付きで、ボストンを堪能。

boston 024

旧州議事堂。独立宣言が読み上げられた場所としても有名だが、独立戦争の気運を高めたBoston Massacre(ボストン虐殺事件)の現場としてアメリカ人の胸に刻まれている。
ちなみに、このボストン大虐殺とは、この旧州議事堂を警備していたイギリス軍人達に対して、アメリカ人民衆が雪玉や棒切れを投げつけたのがきっかけ。当初は軍人達はしかとを決め込んでいたものの、騒ぎがエスカレートし、生命の危機を感じたイギリス軍人が無差別的に発砲、5人を銃殺。
これって「虐殺」か?被害者の数の大小もさることながら、「虐殺」と呼ぶほど一方的なものではないような。
と思っていたら、やはりプロパガンダとして「虐殺」という言葉が使われたようです。

boston 044

Fanueill Hall Marketplace。Thanksgiving's Dayで残念ながら、店はほとんど休みでしたが、男二人で今年初のクリスマスツリーを眺めておきました。

Thanksgiving's Dayの威力はすさまじく、一般の店だけでなく、観光名所もお休み。史上最速のタイムでFreedom Trailを完走し、夕食の後、またパブを求めてゴー。
今度は反省を生かして、パスポート持参。
しかし、ことごとく閉店。
しょうがなく、セブンイレブンで酒を買って、友人宅で飲むことに。
セブンイレブンでは、酒類が並ばれている冷蔵庫に南京錠がはめられており、年齢確認をおこなった店員が鍵を開けるシステム。ボストンおそろしや。
店員に開けてくれと頼むと、「今日はThanksgiving's Dayだから開けない。」と。

は?

感謝祭おそろしや。
酒なしで、何に、どう感謝すればよいんでしょう?


最終日はBlack Friday。アメリカでは、この日に小売店が一斉に値下げをし、クリスマス商戦に向けたショッピングシーズンがスタートする。
というわけで、プリンターを購入。
手で持って、NYに帰ったら翌日筋肉痛で腕が動かなかったとさ。
あー情けな。



遅くなりましたが
あけましておめでとうございます!

2008年に入り、冬休みも残り10日となりました。
社会人と比べてしまえばまるで楽園ですが、他の大学院と比べるとどうもロースクールは冬休みが短いようです。

気づいたら、ブログも3週間ほど止めてしまいました。
今月はブログ強化月間として、報告できていなかったことをアップしていければと思います。

さて、NYでは大晦日と正月の熱狂と喧騒が嘘のように、翌2日には既に普通の日となっていました。
元旦は少なくとも3日は祝いたいものです。
かわりに、気温は氷点下に突入し、その後浮かびあがってきてくれません。
雪も相変わらず降り積もり、自由の女神も以下のとおり。

RIMG0003.jpg


嘘です。
これは、僕が送ったSeason's Greetingのカード。
欲しい人はこっそりメール下さい。

というわけで、今年度もよろしくおねがいします


注射
ニューヨーク州の大学に入学するためには、MMRワクチンを二回打っておく必要があります。
コロンビア大学でも、入学手続時にMMRワクチンを打ったことを証明する書類を提出する必要があります。
MMRワクチンとは、はしか・おたふく風邪・風疹の混合ワクチンのことで、日本人なら大体の人が、生まれた直後と小学生の時に打っているはずです。
ところが、ワクチンを打っているとことを証明できるのは、母子手帳くらいなものなので、これが見つからなければ、血液検査をして証明する必要があります。

僕も、母子手帳が見つからなかったので、渡米前に会社の医務課に血液検査を申し込みに行きました。
すると、先生が、「血液検査は結果が出るのに1週間かかる。君の年齢だと抗体が弱まっている可能性があるから、ついでに今ワクチンをもう一回打っとけばいい。そうすれば一石二鳥だろ。」と、おっしゃるので人生3発目のワクチンを受け、先生に証明書を書いてもらいました。
ところが、先生は、二発目を受けた日の欄にその日の日付を書き込み、一発目を受けた日の欄は空欄のままに残しました。
不安になり、これで大丈夫かと聞いてみたところ、自分は毎年こうやっていると言うので、そのまま大学に提出しました。

先生、あなたは毎年、犠牲者を出していたのですね。

10月末に、大学から、「あなたが提出した証明書はMMR一回分しか証明できていない。血液検査を受けるか、もう一回ワクチンを打つかしなさい。」というメールが来ました。

ですよね。。。
まあ、でもいきなり退学させられることはないだろうと、とりあえず無視してました。

その後1ヶ月以上音沙汰もなかったので、やはりアメリカは適当だと思っていたら、甘かった。
冬学期のpre-register(履修選択)を拒否られました。。。

さすがにやばいと思い、大学の医務室に電話し、血液検査の申し込みをしたら、結果がでるのは7日後だと。
pre-register期間はあと5日ですが。。。
では、もう一回ワクチンを打ちますといったら、ワクチンは切れているから保健所行ってこいといわれたので、行ってきました、保健所に。

保健所は清潔さを一切感じさせないところでしたが、お医者さんは素敵な人でした。
注射は、患者に恐怖心を抱かせないように、針が絶対に視界に入らないようにマニュアル化されています。
打つところが微妙に日本と違くて、上腕の裏(胸と同じやわらかさとされているところ。)に打たれました。
気持ちよかったです。

というわけで、人生4発目のMMRワクチンを打ちました。
無事、pre-registerに間に合いましたが、僕の体の中にはウイルスがうじゃうじゃ。
ばいばいきん。

そういや、MMRといえば、恐怖の大魔王は来なかったですね、キバヤシさん。


お邪魔虫
昨夜深夜、ルームメイトに連れて行かれ、コロンビア大学の伝統行事「Orgo Night」を観てきました。

Orgo Nightとは・・・
「有機化学(Organic Chemistry)の試験の前日、夜中の12時にコロンビア大学マーチング・バンド(学生バンド)がButler Libraryで真面目に試験勉強をしている学生の邪魔をする目的で、30分間、演奏(騒音を立てる)したり、大学関連のジョークを披露する。その後、楽隊は、Hartley,Wallach,John Jay等の学部生寮を襲い、最後にバーナード・カレッジ(女子大)の寮の下で、紙くずや水の入った風船の雨を浴びるという伝統行事。」(Wikipediaより引用。)

11時半に図書館に着くと、これから起こることを知らないで必死に勉強する標的の1年生の周りに、僕らと同じような野次馬が既に結構集まっていました。
1年生は、不穏な雰囲気に全く集中できておらず、他方で、なんとなく図書館に外にも出ずらいらしく、早くも勉強どころではなさそうでした。

12時にもなると、部屋はほぼ満員。
そんな中、突然バンドが大学の応援歌を大音量で演奏しながら、部屋に流れ込んでくる。
上級生が歓声を上げバンドと合唱している隣で、1年生はあきれて笑うしかないといった様子。
かわいそうに。。。
キレる10代世代の僕なら3秒と持ちません。

orgo night 001

バンドはこのイベントにかなりの気合を入れて臨んでいるらしく、30分にも及ぶ演奏もジョークも完成度が高かったです。
ジョークは、脚本つきで、大学の有名教授を馬鹿にするもの、政治を風刺したもの、他の大学を皮肉るもの(「コロンビアは敷地を拡張することに関し、市議会の許可を取り付けることに成功した。この点、ハーバードやイエールは楽そうでうらやましい。ド田舎で周りに人なんか住んでいないだろうからな。」)など、多彩で、毎年あまりの過激さに議論を呼ぶらしい。
まあ、半分も理解できなかったけど。

図書館でのパフォーマンスを終えると、バンドは敷地内にある寮の前まで移動し、今度は寮に向かって大音量で演奏。
orgo night 011

寮の窓からは野次が飛び、バンドは待ってましたとばかりにさらに音量を上げる。

なかなかカオスな構図でしたが、きつい期末試験もジョークの対象にしてしまう校風はいいなと思いました。
しかし、あまりのパフォーマンスの高さに、バンドのメンバーの試験の結果が不安になりました。
自己犠牲の精神はすばらしいと思います。

にしても、大学1年生は若いですね。
1年生だったことなんてつい最近のことだと思っていたら、もはや7年前。。。
学部生がほとんどを占めるButler Libraryでのおっさんの浮きっぷりは半端なかったです。



今日は、用事があったのでミッドタウンまで行っていたのですが、なんと紀伊国屋が店舗移転セールスを開催しており、本を半額で売っていました。
半額だと輸入費用をかんがみても、日本より安く、文庫、新書等を大量に買い込んでしまいました。計90ドル。

読むんかいな。


リスニング
試験二発目終了しました。
図書館で夜を明かした甲斐もあり、一発目よりはできたかと。
しかし、週2で徹夜しため、東京での忌々しい記憶がフラッシュバックしました。

今回の試験は「Law of WTO」。
その名のとおり、WTO協定を条文解釈や判例研究を通して法的に分析していくという授業。
法律家であるMAVROIDIS教授と経済学者であるBHAGWATI教授が掛け合い漫才のように進めていく授業は、常に笑いが耐えませんでした。
そのうえ、パワーポイントを利用するなど、ロースクールには珍しく体系的に整理されており、指定された教科書もわかりやすかったです。
数字アレルギーのため、今まで通商経済分野には近づかないようにしていたのですが、今回思い切って履修してよかったです。
はじめて勉強していて、「これ将来仕事の役にたつかも。」と思わせてくれました。
さすがプロフェッション・スクール。
今までも振り返ってみて役に立ったなと思ったことはもちろんあります。
保健体育とか。

というわけで、授業は全部聴講したのですが、試験勉強はきつく、図書館に2日ほど住みました。
なぜ、授業に出ているにもかかわらず、こんなに大変なのか?
それは、授業の理解度が低いから。

では、なぜ、授業の理解度が低いのか?
それには二つの理由があります。
頭が悪いというのを除いて。

1つ目は、単純で、授業が月火の9時~11時だったこと。
眠すぎます。
特に、月曜9時は無理。

2つ目は、英語の問題です。
それもただの英語ではなく、ギリシャ人とインド人の英語。
MAVROIDISはギリシャ人、BHAGWATIはインド人です。

なに言っているのか、全然わかりません。

ってか、本当に英語か?

。。。いや、まあ英語だよな。

でも、英語には聞こえないのだが、実は違うという可能性はないか?

。。。まあないよな。アメリカだしな。

いや、果たして本当にそうか?『アメリカ=英語』という固定観念に縛られているのではないか?

いやいや、寝ぼけているだけだな。パワーポイントも英語だもんな。

ん?よく見るとパワーポイントに書いてあることと口の動きがあっていないぞ。

。。。いやいやいやいや、他の学生はうなずいたり、笑ったりしてるし、英語だわな。
俺、どうかしてたみたいだわ。

いや!ちょっと待てよ。だからといって英語とは限らないのでは?みんなの分かるほかの言語では?
うむ。そうに違いない。
あれが英語であるはずがない!

と、一通り自問自答を終え、「英語ではない。」という結論に至ったところで突然教授が一言、

「OK?」

。。。英語だわ。


英語のリスニングはただでさえ大変なのに、これに訛りが加わると手のうちようがないです。
外国人に、東北訛りを理解させるようなものでしょうか。

不思議なことに、ネイティブは聞き取れているのですよね。
僕は、東北訛りは理解できません。


さて、今回の試験は4時間にも及ぶものでした。
そこは、さすがアメリカ。
リバティーでフリーダムなことに、試験中も飲食自由なのです。
両手にコーラとマフィンを持って挑みました。
おいしかったです。

次の試験は、8時間のtake-home exam。
試験期間中、好きなときに問題を取りにいって家か図書館に持ち帰って書きあげることになり、問題をもらったところでヨーイドン、時計が回りはじめます。
試験期間は来週まであるので、ゆっくり準備します。

さて、いつお持ち帰りしてやろうか。



のれない御相談
試験一発目が終わりました。
まあ、いろんな意味でですが。

以前にもここで書いたFletcher教授の「jurispendence of war(戦争の法学)」の期末試験を受けてきました。

試験とはいっても、小論文のようなもので、木曜に行われた最後の授業の終わりに問題が発表され、本日月曜日の午前10時に提出というものでした。生徒は問題を持ち帰って、家や図書館で資料を調べあげて書くことになります。

前回の非常に抽象的な問題と違い、今回は具体的なケースに基づいたもの。ケースの要旨は以下のとおり。

「キム夫妻は北朝鮮軍隊から脱走し、中国に逃げ込んだものの、資金が底を尽き、上海で物乞いをしていた。それをみた西洋人グループが、夫妻を拉致し、他のアジア人とともにメキシコまで送り、そこで裕福なメキシコ人に売りつけた。メキシコ人はキム夫妻を奴隷のように使い、夫妻の間に生まれチェと名づけられた子を勝手に孤児院に預けた。
孤児院に預けられたチェは反米思想を燃やし、9・11同時多発テロに触発され、イスラム教への入信を試み、他の孤児とともに近くに住む導師に指導を求めた。「アラーアクバル(アラーは偉大なり)」と三回復唱し、コーランを勉強すればよいと導師に教わり、孤児たちは前者についてはこなしたものの、後者については、スペイン語に翻訳されたコーランが見つけられず、これを行えなかった。また、パラグアイに潜伏しているイスラム教過激派テロ集団に連絡をとろうと試みたものの、反応はなかった。それにもかかわらず、孤児たちはビン・ラディンの目指す世界が実現されるよう、力を尽くすことを誓い、互いに血の儀式をおこなった。
一方で、キム夫妻は、政府による強制捜査が入ったため、奴隷的待遇から解放され、離れ離れにさせられた子供を捜した。幸運にも、家族は再会を果たし、子は孤児院から引き取られた。
チェは、『アメリカに対し復讐を果たさなければならない』とキム夫妻を説得し、銃と爆発物を持ち、国境を渡り、サンディエゴにあるショッピングセンターを攻撃することを提案した。その提案に乗ることを決意したキム夫妻は北朝鮮軍隊から脱走したときにもっていた軍服を取り出した。三人は、リオグランデ川の地下にトンネルを掘り、アメリカ入国を果たしたが、警備に見つかってしまった。このとき、キム夫妻の着ていたふるい軍服を見た警備は笑って噴出してしまった。警備から連絡を受けていた国境警備隊にキム夫妻が逮捕され尋問されるまで、そう時間はかからなかった。
尋問にあたって、キム夫妻がハングルしか理解できないふりをしていたのに対し、チェはスペイン語でアメリカに対し悪態をついた。尋問はチェに集中し、彼は隔離され三日間明かりを当てられ、ついに自分のイスラム過激派に属し、自分の仲間がアメリカに対するテロ活動に従事していると証言した。
国境警備隊に身柄を引き渡されたアメリカ検事局は、キム親子を不法戦闘員として入国したことについて起訴することを決定。国防省は、軍法委員会を設置し、キム親子は訴訟までの間、米軍基地において拘束されることになった。キム親子の代理人は、当該拘束は違法でありキム夫妻は解放されるべきだとして、連邦裁判所に対し人身保護令状の発行を求めた。これに対し米国政府は、キム親子に対して連邦裁判所は管轄権を有さず、人身保護令状を発行できないと反論した。
その一方で、CIAはチェの証言をもとに調査をすすめた。その結果、たしかに孤児たちの組織がアメリカに対するテロを計画していることをつきとめた。CIAはこれを阻止するために次のような作戦を考え、君に相談してきた:(A)孤児たちの組織が潜伏している部屋を、建物ごとミサイルで攻撃する、(B)暗殺部隊を送り込み、一人ずつ暗殺する、(C)孤児たちを逮捕し、グアンタナモ基地に拘束し、共謀罪で起訴する。」

さあ、みんなで一斉に、一つずつツッコミを入れていこう!

そして、問題は以下のとおりでした。
(1)連邦裁判所がどう決定すべきか、裁判所に提出するメモを作成せよ。
(2)CIAがどの作戦を取るべきか、アドバイスを書け。
(3)その他、国際法違反を構成する事項があれば、それを挙げて議論しろ。


最初に問題を読んだときは、丸3日もあるし、余裕だろうと思っていたのですが、結局最後の夜は完徹せざるを得ませんでした。
なんとか、回答を提出できたものの、改めて問題文を読み直すと、軽く冷や汗が出ます。
まあ、性格上、この「やっちまった感」も明日には忘れるから大丈夫ですが。
ってか、忘れたい。

次の試験は、木曜日。
科目は「law of WTO」で、今度は会場で受けるものになります。
それまでに、あと400ページ読めねば。。。

がんばります。




拍手
まだ公式な試験期間が始まってもいないのに、フライングで明日一発目があります。
3日間のtake-home(後日詳しく書きます。)なので、無駄な抵抗はやめて、今夜は早めに寝て体調を整えようかと思っています。

さて、試験期間直前の今、各講義は最後の授業を迎えています。
その授業の最後に、生徒が教授に拍手を送るのが、アメリカの大学の習慣のようです。
「チップス先生、さようなら」にも確かそんな描写があったような。
(日本の大学でも同じでしょうか?最後の授業なんて出た記憶が。。。)
中には、教授と一緒に写真を取る人も。
また、教科書にサインを求める人も。

しかし、三ヶ月もの間、
毎週膨大なリーディングを課し、
授業では公衆の面前でいじめ、
さらにこれからどうせ手も足もでない試験問題を出題し、
平気で不可を付けるような、
鬼に拍手を送るなんて。。。

こいつら相当なドMに違いありません。





マジ寒い
今度は僕のこと。
再確認まで。

MPREの結果がメールで届きました。
うっかり、ニューヨーク州のBARを受けるための必要な点数をゲットしていました。
敗北宣言をしといて、この結果は我ながらまじサムいです。

「テストどうだった?俺マジできなかったんだけど。」
「お前も?俺も、ぜってー落ちたわ。」
といっときながら、裏切るみたいな。

外国人のロースクール生にも、落ちたーとわめいておいたので、このサムさが万国共通なのか確認しておきます。

でもね、本当に予想外なんですよ。

僕の非倫理性は所詮世界レベルではないということか。
世界の壁は厚い。
サムさに関しては、結構いいとこまでいってると思います。


ちなみに、この試験(MPRE)のシステムは以下のとおり。ご参考まで。

MPRE_VICTROLA.jpg

MPREは全州共通の試験で、年に3回ほど開催される。この試験で一定の点数を取ることが、各州のBAR試験を受けるに当たっての受験資格になる(※BARそのものに関しては、各州がそれぞれ独自に試験を行う。A州のBARに合格すればA州での弁護士資格を得ることになるが、これは他の州における資格にはならない。)。

必要な点数は州によって異なり(中にはMPREを受けること自体求めていない州もわずかながらある。)、僕の受けるニューヨーク州は85点以上取ることを求めている。他の州も、大体75~85点取ることを求めている。

問題は60問(そのうち10問は参考問題で採点対象外。しかし、受験生にはどの問題がこの参考問題なのかはわからない。)で、試験時間は125分。

各試験の難易度によって有利不利が生じないように、点数は50点から150点の間で偏差値換算され、平均点は100点に設定される。
BARBRI曰く、難易度にかかわらず正答率が7割あれば、問題なく85点をこえるとのこと。
ぜってー7割も取れてねー。

しかし、なぜ50~150点で換算するのだろう。
素直に、0~100点にして、平均を50点にしたほうがわかりやすいだろ。
50点も下駄を履かそうとする意味がわからない。

厚底ばんざい。
アムラー。

el-xpaige.jpg


余談ですが。。。

高校生の頃、まだ厚底がかすかに流行っていて(少なくとも鎌倉では。)、デートに誘った彼女に、「高い靴を履いていってもいい?」と聞かれたことがある。

この子はなぜ自分の靴が高価であることを高らかに宣言しているのだろうかと、不審に思ったものも、

「も、もちろん」

と精一杯さわやかに答えた上で、こちらも負けじと、持っている中で一番値の張った靴を履いて挑んでやった。

エアマックス。



・・・やっぱ、サムいわ。




マジ怖い
今日大学からこんなメールが。

「Public Safety has alerted us that there was a shooting outside Radio Perfecto, located at 1187 Amsterdam Avenue, at 3 a.m., Sunday morning, after an argument within the restaurant spilled outside. One person was killed and another wounded. We have been informed that these individuals are NOT Columbia affiliates. There have not yet been any arrests made in the case and the investigation is continuing. This is a tragic and sad for all those involved.
As Radio Perfecto is near our campus, housing, and frequented by many Columbia students, we thought that students would want to hear about this incident immediately, thus this email.」

省略して訳すと、
「昨夜午前3時に、レストラン『Radio Perfecto』の店先で発砲事件が発生。事件は店内での口論の末に起きた様子。死者一人、けが人一人。これらの者は幸いコロンビア関係者ではなかった。発砲者は、現在逃走中。
『Radio Perfecto』はキャンパス及び寮に近く、また多くの学生が通っている場所であるということもあり、このメールを送付した。」

勘弁してください。
まじで。

現場の店は、大学に隣接しており、多くのロースクール生が住む寮(Lenfest Hall)までの通学路にあります。たまたま事件直後に通って、遺体を見てしまった同僚もいるようです。
うちからも徒歩3分。
ここでブランチをしたこともあります。

治安が悪いことは覚悟していましたが、午前3時とはいえ、こんなに身近で、さらに裏通りでもない大通りで銃殺事件が起こったのはさすがにショッキング。
だいぶ街に慣れてきて、ちょっと気が緩んでいたところだったので、なおさら。

ちなみに、これでも80年代・90年代に比べたら、だいぶ治安が回復しているとのこと。
以前は、教授が殺されるという事件も発生したこともあり、大学と寮の窓はすべて鉄格子がはめられていたそうです。

いまの美しいキャンパスからは想像できません

702.jpg


しかし勉強している場合じゃないわな。



試験期間
いよいよ試験期間が迫ってきました。

それに伴い、ロースクールの図書館は、ロースクール生以外立ち入り禁止になり、さらに24時間営業になりました(通常は12時閉館)。
ロースクール生(特にJD生)の目が完全にイキ始めました。
図書館も殺伐としてきました。

僕も、計3つの試験があり、気づいたら1つ目は1週間後に迫ってきました。
このままだと貯めに貯めてきたリーディングの借金を取り返すことなく、試験に挑むことになりそうです。

さすがにまずいので、本気でがんばります。
大学時代は試験直前に500ページの教科書を二日で読むとかできましたが、英語になるとさすがに難しいです。
相変わらず1時間で10ページ読めれば良いほう。

この計算だと、目の前にある教科書を読み終わるには40時間。
なんとかなるよな。

当分youtube鑑賞を封印します。

そして、その代わりにメタボ対策に渡米してきてから今まで封印してきたコーラ(ダイエットコーラで代替してました。意味なし。)を召喚することにします。

単位と体重の一石二鳥です。



ライオンズ
アメリカンフットボールは大学スポーツの華。
コロンビアもアイビーリーグ8校とその他3校によって構成されるリーグに所属しています。
しかし、我がコロンビア・ライオンズは1961年に一度リーグ優勝したきり、40年以上も優勝から遠ざかっている弱小校なのです(リーグ自体もレベルが低いとのこと。)。

それでも一度くらいは応援に行き、大学スポーツの華の雰囲気を味わいたいということで、ブラウン大学をホームに招いての今シーズン最終戦に行ってきました。

ライオンズの最終戦までの戦績は1勝8敗、対アイビーリーグに限れば0勝6敗という、散々なもの。
ここは今日勝って、有終の美だけでも飾りたいところ。
ちなみに、どんなに負けても降格はないようです。

スタジアムは、メインキャンパスからマンハッタンを北に100ブロックほど上ったところにあり、生意気にも17000人も収容するなかなか立派なもの。
メインキャンパスからでる無料の送迎バスに乗って30分弱で着きました。

ところが、この日のニューヨークの気温は10度未満。
風が強く、体感温度は完全に氷点下。
学生にはビールが無料で配られるのものの、今日に限ってはまったくそそられず。
会場内に入れば観客の熱気で暖かくなるだろうと期待し、意気揚々と試合開始直前5分前に会場入り。
こんなにぎりぎりだと、いい席取れるはずもないから双眼鏡もってくれば良かったと、軽く後悔。

そして、難なく最前列ど真ん中を確保。。。

まったく盛り上がっていないんですよ。
客席もまばらで、むしろアウェーのブラウンのほうが応援が多いのでは?
チアリーダーも7人だけで、かなりしょっぱい。
ブラスバンドは明らかにブラウンの方が大きな音を出していました。

この試合が引退試合になる4年生の引退セレモニーが行われ、ちょっとだけ盛り上がったところで、試合開始。
試合開始

コロンビアのスクールカラーは水色。
さわやか3組。

ところが、開始3分であっという間にタッチダウンを奪われ、前半が終わったところで、3-24。
素人目にもわかる弱さ。

早くデストラーデ出せよ。。。

そんな僕の願いが届いたのか、後半はディフェンスチームを中心に奮闘し、一時は2点差まで追いつき、いよいよ観客も盛り上がり始め、遂にマスコットのローリー(Roar-ee)君もやる気を出し始めました。
手を振る

ローリー君、手を振らないで。
顔が怖すぎて、子供が泣いてます。

しかし、最後は3連続でインターセプトを喰らうという拙攻で、結局22-30で負けてしまいました。

ふがいない結果に、ローリー君も激しく説教。
説教


というわけで、1勝9敗(対アイビーは全敗)という非常に残念な結果でシーズンを終えることになりました。
とはいえ、これだけ弱いと逆に応援のしがいもあるというものです。
そして、軽く母校愛が芽生えてきました。

来年は、ホーム戦はできるだけ行こうと思いました。


至福の5分間


たった5分間で得られる圧倒的な爽快感。


ゆがんでますが、何か?




初雪
ついに初雪が降りました。

雪が降ってテンションが下がったのは、生まれて25年目にしてはじめてです。
こっちでは犬も喜んでいないようで、駆け回っていません。
猫がまるくなるためのコタツもありません。

11月中旬に雪が降るのは非人道的な感すらします。



Law Revue
ロースクールは、コロンビア大学そのものからはかなりの程度独立していて、ロースクール独自の生徒会や同好会があります。
"Law Revue"はこのようなロースクール同好会の一つで、演劇サークルです。
おとといは"Law Revue"の講演だったので行ってきました。

演目はオリジナルのもので、有名なテレビ番組のパロディーや替え歌を通して、ロースクールの日常を描いたコメディでした(わかる人にしか通じませんが、某テニスサークルの追いコン芸そのまま。)。

もうひたすら自虐ネタ。
勉強しかせず、よい成績のためにはクラスメートを蹴落とし、パソコンに支配され、コンサバで、ダサくて、オタクで、もてないコロンビア大ロースクール生。

冗談は現実だけにしていただきたい。
せめて舞台くらい夢を見たい。

しかし、
①英語がわからない
②パロディしている元ネタがわからない
③笑いのセンスが合わない
という三重苦を背負わされ、2時間半近くに及ぶ講演の後半は睡魔との闘いでした。
そして負けました。




嫌いな言葉は「適用除外」
もはや先週のことですが、コロンビア大は11月の第1火曜日をelection dayという大学の祝日(University Holiday)としています。
それに伴い、前日の月曜もAcademic Holidayとし、授業は休講となります。

なぜこの日が大学の祝日とされているかというと、11月の第1火曜日が大統領選挙が行われる日であることに由来します。
とはいえ、大統領選挙自体は4年に一回しか行われず(次回は来年。)、毎年休みにする必要はないはず。
ところが、コロンビア大の生徒は学生運動が大層好きらしく、この政治的な日には過去、毎年のように学生がキャンパスで暴れていたそうです。
そして、そんな血気盛んな学生に手を焼いた大学側が、この日を大学の祝日と指定し、学生がキャンパスにこられないようにしたとのことです。
ペンが剣に敗れ去った瞬間です。

というわけで、そんな先輩方の功績により世間が忙しくしている中でコロンビア大だけ4連休。
絶好の旅行のチャンス!
そんな中、国際公共政策大学院に通う職場の同期たちはワシントンDCにフィールドトリップへ。
君達は立派だよ。


そして、僕はというと。。。

普通に授業があるわけですよ。
ロースクールには大学の祝日が適用されないらしいです。

暴れるぞ。


その昔、東京から鎌倉の学校に通っていたとき、都民の日(10月1日)を自主適用したのを思い出しました。






サマータイム
サマータイムが先週末に終わり、日がびっくりするほど短くなりました。
6時には真っ暗です。

その上、寒さが洒落にならなくなってきました。
僕は相変わらず12時頃まで図書館にいる、又は、いようとしているのですが、わずか5分の帰路で体の芯まで冷えます。

こういった「暗い」「寒い」という外部環境がもろにメンタルを直撃し、軽く鬱に陥りそうになります。
ロシア人ならウオッカをがぶ飲みして紛らわすのでしょうが、幸か不幸かロシア人ではないため、とりあえずコーラをがぶ飲みしてみてます。

さて、こっちでは夏時間のことをサマータイムって言わないのですね。
デイライト・セービング・タイム(daylight saving time (DST))と言うらしいです。

そんなジャパニーズ・イングリッシュのおかげで、ルームメイトに甘い質問を投げかけてしまいました。

「When does Summer-time end?(夏はいつ終わるの?)」

そしたら、こいつがまた粋なことをいいやがる。

「That's what you decide.(君の気の持ちかた次第さ。)」


そうなのか。
気持ち次第で、時間を進めたり遅らせたりできるのか。

さすがアメリカ。




MPRE
受けてきました。

本気でやばい。
受験戦争の権化として、今まで数えきれないほどの試験及び模試を受けてきましたが、これほどまでに手ごたえがない試験は人生で始めて。
やはり一週間そこそこの勉強では、25年間培ってきた倫理的借金を解消するには至りませんでした。

しかし、今回の敗因(結果自体は5週間後にわかります。)は、僕の倫理力だけでなく、圧倒的なアウェー感にもあったと思われます。
例えば・・・

①会場
今回の会場はマリオット・ホテル。
はい、おしゃれ過ぎ。
床は赤カーペット。
机にテーブルクロスがかかってます。
クロークがコートとバッグを預かってくれます。

②持ち物
試験要綱には、鉛筆、受験票及び身分証のみ持ち込み可能で、例えば、財布、時計、テキストの持ち込みは禁ずる旨明記してあったのに、会場では「収拾がつかない」というざっくりとした理由により、机の下に置けばOKに。
柔軟な対応は評価します。
でも、試験中は鉛筆以外は机に置くなと言いますが、会場には時計がないではないですか。
しょうがないので時計なしで挑みましたが、後で聞いてみると、みんな腕時計をしていた模様。
彼ら曰く、
「腕時計≠時計」だから、腕時計の持ち込みは可能。
「腕に巻く≠机に置く」だから、腕時計を腕に巻くのは可能。
柔軟な対応です。
法律家恐ろしや。

③時間
試験時間は125分で、問題数は60問。
終わるはずがない。
ところが、ネイティブは1時間くらいで終了し、帰ってゆく。
僕も帰りたい。
今すぐ帰りたい。

④事務処理能力
試験官が約300人の解答用紙を集めて、枚数を確認するのに30分以上。
試験を60分で解いて帰る人たちと同じ動物かと。

というわけで、今回はアウェー感を味わっておくための模試みたいなものだったと割り切り、3月の敗者復活戦でがんばります。

3月の試験では、今回落ちた倫理性のない輩と、二回も受ける必要がないという自分の倫理性に100%の自信をもった輩とによる見事なコントラストが描かれることでしょう。





ハロウィン
10月31日はハロウィンでした。
この日に向け、店は一月も前からクモの巣や骸骨等で装飾され、家の前にはかぼちゃをくりぬいて作ったJack'o'Lanternが置かれていました。

思えば、小学生の時にDCに住んでいたときにハロウィンはクリスマスと1位2位を争うくらい楽しみなイベントで、仮装パーティが小学校の公式な行事としてありました。

というわけで、MPRE(下記参照)の3日前という素敵な日程にもかかわらず、色々回ってきました。

はじめに、授業終了後、ルームメイトと街を散策し、trick-or-treatしている子供達を見学に。
今日は、おっさん二人がお姫様や妖精の格好をしている幼児をまじまじとみて、気持ち悪がられない唯一の日。もちろん僕らに他意はありませんが。

僕が小学生の時は住宅街に住んでいたため、暗くなってから友達と近所の一戸建てを訪問してお菓子をもらっていたのですが、今思えばとても平和だったのですね。
NYは違いました。
わりと明るいうちに、親に手を引っ張られ、商店街を回って、お店相手にtrick-or-treatしていました。
お店側も見越して、お菓子を用意しているのですが、中にはこんな店も。

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次に、全米一と言われるハロウィン・パレードに行ってきました。
6番街を南から北に約25ブロックほどを5時間(7時開始で12時くらいに終わるとされる。)くらいかけて上るものですが、さすが全米一とあって、すごい盛り上がり。
六番街の歩道には人の群れ、見学者もまた皆仮装していました。

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ところで、NYは屋外での飲酒は禁じられています。
ドしらふで、半裸で踊り狂っているこの人たちには一生勝てる気がしません。


最後に、ロースクールのハロウィン・パーティに。

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みんな、気合はいりすぎ。
そして、仮装しても結局やることは同じ。
ダンス。。。

僕はというと、枕と肉襦袢がわりの巨乳を身につけた上で、浴衣をまとい、相撲力士に扮しました。
日本の伝統芸能の普及に一役買おうと思っていたのですが、残念ながら「妊婦」と間違われるなどコンセプトが全く伝わらず、あげくの果てに、浴衣の下の巨乳がフィーチャーされてしまい、単なる下ネタキャラに成り下がりました。
まさか、仮装した結果、本性が暴かれるとは思っていませんでした。

ビール瓶持ってけば伝わっただろうか。



お客様
大学時代のサークルの先輩がNYに来たので、NYを案内してもらいました。

・・・全く役に立たず、すみませんでした。
でも、「Calvin Kleinの口紅」がどこに売っているかなんてわかりようがありません。

というわけで、NY滞在2ヶ月目にして初めて本格的に5番街周辺を散策。
Bloomingdale's、Macy's、Saks Fifth Avenue、Barney'sと虱潰しに足を運んだ結果、得たものは場違い感にたえられる精神力。
残念ながら、お目当てのものは見つかりませんでした。

大学から五番街は、地下鉄で20分ちょいなんですが、そこは完全に異世界。
みんな、お洒落。
大学では、みんなパーカー、デニムにスニーカー。
うっかりジャケットなんて着て授業に出れば、今日はパーティかと聞かれます。
日本の大学生はみんなお洒落ですよね。
まあ、その中で僕はラケットバックを常にしょうという流行の最先端を走っていましたが。

ちなみに、SOHOにはこんな店も。
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あなたには日本で大変お世話になりました。



標識
イエローストーン国立公園にあった標識。

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こういう標識は「注意しろ」という警告というよりも、「見えないだけで動物はちゃんといるよ」という誇大広告に近いと思っていました。
日本でも、「鹿飛び出し注意」の標識があれば、「やべー、鹿に出会っちゃうかも」と一通りわくわくさせられた結果、実際に出てきてくれることはない。
やつらは出ないことで自身の希少価値を高め、決して安売りしない。

そう思っていました。。。










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どーん。
もってけ、泥棒。
野生の生き物としてのプライドを持って頂きたい。

ちなみに、イエローストーン名物はバッファローバーガー。









オタワの公園にあった標識。

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うん。

これを見たオタワ市民はとぼとぼと帰宅していくのですね。
馬に乗って。









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